2010年3月15日月曜日

1-2)エリスポエチンを巡って 

1-2)エリスロポエチンの発見
 腎臓は、単に尿を作るという役割以外に、実にさまざまな役割を演じている。
この血液中の赤血球の数を一定にするように平衡をとるためのホルモンである、エリスロポエチンが腎臓で産生されている事実も、生体の合目性を考えた際に、エリスロポエチンがなぜ腎臓に存在するかという基本的な質問に答えた記述を、私は未だ寡聞にして知りません。

すでに19世紀末に(1878)、酸素の少ない高地では、赤血球の数が増加することが知られていました。1906年に、Carnotらは貧血兎の血清を正常兎に静脈注射すると、正常兎の赤血球数が増加することを報告しました。この赤血球の増加は低酸素血症が直接に骨髄を刺激するのではなくて、貧血兎の血中に骨髄を刺激する物質が存在するためであると主張しました。

その後、幾多の変遷を経て、1977年熊本大学の宮家(ミヤケ)隆次らは、再生不良性貧血患者の尿2.5トンから精製をはじめ、10mgの純化したエリスロポエチンを精製することに成功した。この純化標本から、エリスロポエチンのアミノ酸配列が決定され、1985年、ついにエリスロポエチンの遺伝子クローニングに成功、今日の腎性貧血患者治療の道が開かれることになりました。

 この宮家博士の功績は誠に偉大なものですが、その後、このエリスロポエチンの特許取得をめぐっては、激しい企業競争が繰り広げられたようです。以下、岸本忠三/中嶋彰『現代免疫物語』p.187 – 190からの引用です。

『一九七〇年代半ば、大切な「宝物」を携えて日本を離れようとしている研究者がいた。熊本大学の宮家隆次。再生不良性貧血の患者の尿を携えて、彼は米国のシカゴ大学のE・ゴールドワッサーのもとへ向かおうとしていた。  宮家はどうして、こんな風変わりな行動を思い立ったのか。実は貧血患者の尿の中には、血液の赤血球を増やしてくれる分子が大量にある。そこで、宮家はこの 分野の第一人者、ゴールドワッサーのもとでこれを精製しようと考えた。この分子こそ、今、大型バイオ医薬「赤血球増多因子(エリスロポエチン=EPO)」 として知られる情報伝達分子である。 …宮家がゴールドワッサーを訪ねた甲斐はあった。彼らは一九七七年、尿の中から赤血球増多因子を抽出、精製することに成功した。 だが、この後、彼らには数奇な運命が待ち構えていた。赤血球増多因子が巨大な医薬となるとみた有力ベンチャー二社が、赤血球増多因子の生成に成功した二人に接近、ゴールドワッサーと宮家は袂を分かつことになるからだ。  ここで登場するのはバイオ分野で輝かしい成功を収めた代表的なベンチャーとして語り継がれる米アムジェン、そして同社と争った米ジェネティクス・インス ティテュートだ。ゴールドワッサーはアムジェンと共同で、宮家はジェネティクスと一緒に、赤血球増多因子の商業化をにらんだ研究を開始した。  アムジェンは遺伝子組み換えの手法で赤血球増多因子を生産するときに不可欠な中間物質の遺伝子を突き止めて配列を解読し、これを特許に申請。一方、ジェネ ティクスは天然の赤血球増多因子のたんぱく質をより正確に生成し、たんぱく質そのものを特許として出願する戦術を採用した。 両社は一九八七年から足かけ五年にわたる特許係争へと突入した。そして米国で最後に勝利を収めたのはアムジェンだった。一九九一年十月八日、米最高裁はジェネティクスの上告を棄却する形で赤血球増多因子の基本特許はアムジェンが有している、と認めるに到った。 …赤血球増多因子は、遺伝子工学の手法で作られた医薬として大きな市場を形成した代表的な医薬となった。遺伝子創薬史というものがあるとすれば、間違いなく歴史に名を刻まれるべきバイオ医薬である。』


3)エリスロポエチン産生細胞はどこにある?
 このエリスロポエチン産生細胞の腎臓での局在については長い間不明でした。しかしついに2008年、EPO発現細胞を可視化することに成功しました。(可視化には、2008年ノーベル化学賞の対象となった下村脩教授の発見したクラゲの発光物質GFPを、EPO遺伝子に導入することで可能になった。)この結果、EPO産生細胞は尿細管間質に局在する神経様細胞であることが突き止められました。神経細胞と類似の樹状突起を有すること、近位尿細管細胞と血管内皮細胞の間に位置し、尿細管に密着して存在することなどが明らかになりました。

 EPOは酸素不足状態で産生が亢進します。すなわちEPO産生細胞は低酸素を感知する機能が備わっていると考えられています。低酸素という生体にとって危機的な状況になると、細胞の恒常性を維持するために誘導される遺伝子群(低酸素応答性遺伝子群)が発現するが、EPO産 生は、このような低酸素応答性遺伝子群の影響を受けます。腎臓という臓器は生体の酸素要求度を感知する臓器だともいえるでしょう。以下、私の推論でありま すが、腎臓は糸球体毛細血管という動脈が複雑に分化した組織を持ちます。動脈血であることから、糸球体は通常の組織よりは高濃度の酸素分圧に接触していま す。酸素分圧の変化を感知しやすい臓器といえるのかもしれません。エリスロポエチン産生細胞との関係が大変興味深いところです。

4)エリスロポエチンの臓器保護作用
従 来、エリスロポエチンは赤血球前駆細胞に働き、赤血球造血を亢進させることが主要な役割と認識されていましたが、最近の研究では、EPOは脳、心臓、血管 などにも作用して、ストレス(低酸素)による細胞死を回避する細胞保護効果を持つことが分ってきました。これら造血促進作用以外EPOの役割についても現 在研究が進められています。

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